せきらら性教育 -7ページ目

隠す理由は?

遠足に行った息子を迎えに学校に行った。

 

迎えに行くのは久しぶり。息子と学校から町の中に向かって伸びている楡の並木の遊歩道を歩くのも久しぶり。

 

春になって、今は夕方7時くらいまで明るい。4時半だったから、まだ、さわやかに春の日差しが降り注いでいて、楡の若葉が日に透けていて、なんともさわやかな午後。

 

遠足はあまりおもしろくなかったらしい。

 

 学校の近くで、友達がいるところでは低い声で男っぽくしゃべる息子に笑った。いつもは手をつないだり、ぺたぺたしたりしてくるのに、学校の近くでは

 

 「Mum, you are embarrassing me!!」

はずかしーなー、もー!!

 

といって、並んでさえも歩こうとしない。

 

が、学校から離れて、友達もいなくなると、いつの間にかわたしの手を握り、ぺたぺたして、いつもどおりのかわいい声変わり前の声で話す。

 

息子にもそれなりに世間体、というものがあるようだ。なまいき~。

 

でも、そのうち、友達の目があってもなくても、手をつないでは歩かなくなるんだなあ。そして、その日はそれほど遠くないんだな・・・。

 

「おかあ」

「なんですかぁ」

「雑誌に出てる裸の女の人の髪の毛って濡れてることが多いよね」

「ン? そうかな?」

「うん、そうだよ。しかも、せっかく上半身が裸なのに必ずここの部分を隠してるんだ」

「よう知ってるなあ・・・」

「表紙しか見たことないよ」

 

というのは、例のお店の雑誌を指しているのだろう。

 

「どっちにしたってさ、全部見えてるんだから、そこだけ隠してもしょうがないよね」

「言われてみたら、そうやなあ。全部みえてんのになあ」

「僕、抗議の手紙を書こうかな」

「そうやなあ」

「そういえば、手紙って言ったらさ、この前、カード書いてさあ・・・」

 

全く関係のないことを話し始めた息子を見て、その日は思っているよりも先かな、と感じました。

資本くね説、ちょびっと蛇足

資本くね説、こちらからどうぞ

********************************

 

 

ニュースである大きな車の会社が倒産した、と報道された。

 

 

「何があったの?

「んー、この会社が倒産したらしいんや・・・」

 

 

息子はでっかい声で言った。

 

 

Oh, cool

 

 

「ちょっと待った。どういう意味なのか言ってごらん」

「そやそや、ぎょうさんの人が仕事なくすんやで、なにがcoolや」

「年金だってなくなるんだからね」

「この会社にパーツなんか納めてたちっこい会社もあかんようになるんやで」

「おとうが失業して、ご飯が食べられなくなるのと同じなんだからね」

 

 

両親による矢継ぎ早のステレオ批判。息子は言葉を挟む暇もない。

 

 

「だいたい、coolやなんて、そんな無責任なことよう言うな、お前」

「よく考えないで発言して、よくないよ」

「仕事がなくなった人らは将来の保障もないんやからナ」

「失業保険もねえ、いつまでもないし。製造業界は今、冷え込んでるし・・・」

「そやから資本主義はこわいんや」

「うん、でも、資本主義者は、これは競争の結果だからいいんだ、って言うかもね」

「社会主義者は?

「かわいそうって言うのかな?

「かわいそう、ねえ・・・なるほどねえ・・・」

「ま、だから、社会主義だと、どうしようもない車ばっかり作るんだけどさ」

「アレやナ、LADA

 

 

うはははは、と笑う両親。批判されていたはずなのに、よくわからないうちに、二人で笑い出す両親を見て、絶望する息子でありました。

 

 

 

 

***************************

 

 

わたしたちが笑った理由に説明を。

 

 

LADAは旧ソ連国産の車。西ヨーロッパに一時期輸入されてて、

 

 

「ボディーは硬くて重たい鉄で出来てます!

 

 

というのが売り文句でした。すごい売り文句です。

 

 

もう、ずいぶん前の話。一度、山道を走っているときにLADAが前にいました。下り坂は、重くて硬いボディーのおかげで順調に下がって行きます。そして、上り坂。

 

 

くくくくく、く、く、く、く・・・・・くきゅぅ・・・・

 

 

下がってきた! 

 

 

と思ったら、扉が開いて、運転手以外が飛び出す!

 

 

そして、小さな子供まで一斉に車の後ろに回って押し始めます。

 

 

硬くて重たく、しかも速度が出ないので、事故にあっても安全なLADA(これも売り文句でした)

 

 

それだけではなくて、上り坂では家族の団結をも高めるLADA

 

 

社会主義ねえ・・・・なるほどねえ・・・・。

 

 

万歩計の利用法

万歩計を買った。

一家でライバル意識むき出して、歩数の競争中。

が、わたしはすぐに万歩計を失くした。散歩の途中に落とした、らしい。一番安いものなのでそれほどのショックはないけれど、やっぱり、がっくりきた。 だって、せっかく一生懸命歩いていて、もうちょっとで一日2万歩達成だったのに!

しかも、その日、奴はたったの4000歩しか歩いていない。わたしの5分の1ですぜ、親分(誰の子分やねん?)。

「おかあ、残念だねぇぇ。なくしたの。ふーん、証拠がないから2万歩、なんていえないねえ」

奴は、ニヤニヤしながらいいやがった。

頭にきたので、新しい万歩計は、こんな風にしました。




padpmeter
どや、なくさへんでえ。


しかし、この万歩計、なかなか、役に立つ。

例えば、歩いて買い物に行ったりするとがんがん歩数が稼げてしまう。だから、息子は積極的にお使いに行ってくれるようになった。 一人で行くと、自分だけ歩数を稼げるしね。

だが・・が・・・が・・・が・・・

時間がかかるようになった。

「なんでやねん!」
「遠回りしてるからに決まってんじゃん」

 決まってぇへんわい!

 

異性、なのねえ・・・

先々回のリエさんからのコメントを読んで、こういうこともあるのよ、って感じで。

******************************************


おっさんなわたしだけど、ときおり、

嗚呼、わたしって、女・・・

ってつくづく思うことがある。



そのころ、土曜日に教えていたので、土曜の夜は疲れ果てて、赤ワインを呑むのが日課だった(って、土曜だけではなく、月曜も火曜も水曜も木曜も金曜も天曜も日曜も呑みますが)

いつもどおり、息子を7時半に自分の部屋へ行かせて、だんなと呑んでおりました。そうしたら、だんなが、

「今日さ、Y(息子のことです)が、みてみてっておちんちんを見せに来たんだけど、半分、皮がむけてたんだよね」
「へえ、もうそんなことが起きるんですかいなぁ」
「いや、自分でむいたらしいんだけど・・・」

小学校に入って間もないころでした。大きなおにいちゃんたちにいろいろ教わった、らしい。

「まあ、ええんとちゃう。それともあんまり早くむくとあかんことがあるの?
「痛いんだよね、まだ敏感だから」
「またまた・・・おっちゃんもなかなかいけてまっせ」

などと、話していたとき、ものすごい悲鳴が聞こえてきた。

「猫かいな?
「いや、Yじゃないかな?

悲鳴は泣き声に変わっている。

怪我でもしたのか、病気にでもなったのか、急いで駆けつけると、








































完全に皮をむいたらしい。

痛いらしい。

戻らないらしい。



「どどどど、どないしたらええの?

あせるわたし。

「か、皮を元に・・・」

パニックするだんな。

「どどどどどどうやってぇぇぇぇぇ」
「し、知らないの?














































知るか!

ワシは女じゃぁ!


って、怒りかたが、おっさんなんですケド・・・。





結局、救急車を呼びました。お酒飲んでるから、車の運転できないし。初めての救急車体験・・・。

たどり着いた先は、

土曜日の夜、
心臓発作を起こしたおじいさんや、
ケンカに巻き込まれて額を割られたおねえちゃんや、
交通事故にあった人や、

そういう命のドラマの渦巻く救急病院。

その、ドラマの中で、



































































すみません。

うちの息子の
ちんちんの皮が
元に戻らないんです。




お医者さん、若い男性で、とっても親身だったわ。真剣に息子の「治療」をしてくれたわ。

嗚呼、この人たちは、共通項を持っているのね。わたしにはない共通項を。おとこ、なんだわ。

そして、わたしは、お・ん・な。








ま、後天的ジェンダーも大事だが、先天的性別による団結もあるわけだね。時と場合によってお選びください。

家庭教師は無駄なの????

ちょっとちょっと奥さん!! 大変なニュースですわよ。

てぇへんだぁ、親分、てぇへんだぁ。

本日、BBCで報道されました。

「家庭教師の効果は大してない」

ことに、英語(日本でいうと国語ですね)の効果は、限りなくゼロ、とか。数学は、60点が65点になるくらいしか効果がないとか。

大学生のときに、家庭教師で荒稼ぎをしなくて、よかった。

まあ、この調査の結果は、GCSEというイングランド・ウェールズ・北アイルランドの共通試験(といっても試験だけではなくて、一年間のコースワークなんかもあるんだけど)のために家庭教師を使ったら、という前提。要するに短期的にどれくらいの効果があるか、を調べたもの。

だから、この調査結果を、家庭教師は不要、と解釈するか、一夜漬けはだめよ、と解釈するかは、議論が分かれるところだろうと思う。

どちらかというと、わたしは「一夜漬けではだめ」と解釈したい。また、ある教科に関しては集団で学んだほうがいい、という部分もあるんじゃないかと思う。

ことに、国語のような教科は、ほかの人と議論をする、話し合う、批判をしあう、などのinteractionが大事なんじゃないかと思う。

Interactionは相互作用と辞書にはでているけど、これはちょっとニュアンスがちがう。人と人のことに関してのinteractionは、お互いに話しかけたり働きかけあったりしてコミュニケーションをとりながら一緒に過ごすことだ。

ま、だから、英語の勉強をするときに辞書に頼っちゃだめなのよね。生きてる文例をどんどん吸収してそこからニュアンスを覚えるようにしないとさ。教科書と辞書だけでは、テストの英語はできても、生きてる英語は話せない。

こういったinteractionを通して、人の意見を聞いたり、取り入れたりして、自分の意見を完成させていこうとする成熟した姿勢が作られるんじゃないかと思う。そうして、こうした成熟した姿勢無しには、読解力(これは他者の視点から考えられるという一つの成熟だ)や、文章力(これも他者に自分の考えや意見を説明できるという成熟の形)なんかは身につかないんじゃないかな。

教育はある知識を覚えさせるんじゃなくて、その知識を利用して何かをなせる人間を作ることにあると思う。それには長い時間が必要だ。上等のワインと同じで、成熟するには時間がかかる。

だから、わたしも、いらいらせずに、息子の成熟を助けて、ゆっくりと待つべきだとは分かってるんだけど。

分かってるんだけどねー。一夜漬けでもいいから、もうちっと、何とかなんないか、なんて思ってしまうのでした。

いかんいかん。

***********************************

最近、文字が大きくなっています。読みにくくって嫌だったんだよね。目が悪いしさ。complexologistさんにどうすればいいのか教えてもらった。いつもいつも、おおきに。

 

 

.entry .contents p,
#message .contents p{
font-size: 12px;
line-height: 150%;
}

CSSの中にこれと完全に一致する場所があります。
ここのfont-size: ??px;を調整してあげると出来ます。

だそうです。

14くらいにするといいみたい。

 

 

 

 

 

嗚呼・・・さみしいなあ・・・

昨日の続きでございます。

昨日の記事はここからどうぞ。

********************************

そして、息子の反応は・・・

 

 

「ちゃんと洗ってるよ」

 

 

と、だんなに軽く答えた後、

 

 

「おかあ、ここも生えてきてるんだよーん」

 

 

と、ズボンの上からなでなで・・・。

 

 

「うひゃー、ほんまかあ、えらいこっちゃナあ、ごわーって生えてんのかあ??

「ごわー、じゃないけどさ、うひひ。ちょっと痒い」

 

 

盛り上がる母と子。無視された父親は、逆襲にでる。

 

 

「そんなのうぶ毛です。まだまだ生えません。そうじゃなくて、きちんと体を洗うタオルでごしごしこすりなさい。皮もむいて中を水できれいに洗わないと、大変なことになるんだからね」

 

 

た、大変なことって・・・どんなことでしょう??? 

 

 

その後、父と子は洗い方についての「理論編」の授業をしていました。






取り残されて

 

namida 

 

 

さみしいわたしでした。

 

 

******************************

 

 

嘘かほんとか知りません。でも、ベトナム戦争のときに、アメリカ兵の間で恐れられていた性病に「Vietnamese Rose」というのがあったそうです。薔薇のように赤く開くんだ、とか。考えただけでも恐ろしいです。

 

 

大変なことって、こんな感じなんでしょうか? やっぱり、清潔は心がけたいものです。

 

 

ちなみに、第二次性徴は体重が40kgを越えたあたりから始まるそうです。

 

嗚呼・・・

息子が言った。

「僕、わきの下が痒い」

それに答えて、

だんな: 「ちゃんと洗ってないんでしょう。お風呂に入ったときにきちんと洗いなさい」

わたし: 「おお、もうすぐワキゲが生えてくんでぇ。ちん毛はどうやぁ」




嗚呼・・・。

森林を大事にしなさい

さて、ケツをきちんと拭いているかと昨日聞かれた息子は、非常にはずかしがった。

それには訳がある。

そのころ、トイレットペーパーの減り方の異常な速さにわたしはある疑いを持っていた。が、われわれの教育方針として、疑いだけで息子を責めることは出来ない。何とかして、証拠をつかんでやりたいと思っていた。

ある朝、寝ぼけながらも便所に行った。

わたしは目が悪い。視力が悪いだけではなく、乱視まですごい。コンタクトレンズも、毎日変えるタイプや、毎月変えるタイプ、連続装用タイプでは作れない。

朝起きたときは、当然のことながらコンタクトも入れていないし、眼鏡もかけていない。その状態で、とりあえず、便所へ行く。

すると、ものすごく大きな白いサッカーボールのようなものが落ちている。

なんじゃ?と拾うと、トイレットペーパーの巨大なかたまりである。目が悪いもんで、顔に近づけて仔細に観察をすると、なんか、茶色いもんがついている。

そうです、皆様の推察は100%正しいです。それは、

うんこ

でした。

「おらおらおらぁ~」

朝一番で怒声を張り上げるわたし。

「ケツを拭くときには、こんなにたくさん紙を使うんやない! こんなに使ったら、割れ目にきちんと入っていかんやろ! だいだい、こんなに便所紙を使って、森を切り倒して、温暖化の原因を作ってるのはお前のケツやナ!!!」
「僕じゃないもん!
「いい逃れられへんぞ。おかあは起きたところで、まだ大にはいってえへん。おとうはここやなくて、もういっこの便所でするンや。そやからこれはお前しかおらん」
「・・・ごめんなさい・・・」

この後、トイレットペーパーの使い方の実技授業をしました。

そして、刑罰:
トイレットペーパーを自分のお小遣いで買ってくる。

大岡越前のファンなんですよ(これは大岡裁きだ、と言いたいらしい・・・)。

歴史を学ぶこと

息子に本を買い与えた。Daniel Half Humanというナチス・ドイツの下での子供の話。

お昼ごはんを食べていると息子が言った。

「おかあ、学校で習ってないことがたくさんでてくるよ」
「そうか」

「ひどいことをしたんだね。ナチスは」

「そうや。そやけど、日本もひどいことしたんや。中国人を虐殺したり、韓国人を強制労働させたり、イギリス兵の捕虜に鉄道引かせたり」
「そうなんだ・・・」
「まあ、お前さんは日本人、ゆわれてもピンとこんかも知れんけど、ちょっとは日本人やから、こういうことを知ってたほうがええんやで」
「うん・・・」
「お前さんの罪やないよ。でも、知ってたほうがええ」

息子はしばし考えた。

「悪い事はよくないね」
「よくない。そやけど、まあ、ちょっと考えてみ」

例えば、ナチスがどれだけ悪かろうとも、ドレスデンの爆撃は正当化できるのか。東京大空襲の時に連合軍がとった「カーペット爆撃」なる方法は、ジュネーブ条約違反ではないのか。原子爆弾は落としてもいいのか。

「だって、悪いことしてたんでしょ」
「それやったら、赤ちゃん殺してもええんか?

Look, there is such a concept as a collateral damage.  I do not know whether any war is just or unjust.  But, you know, everyone agrees that you must avoid any collateral damage whatever the cost is.  There would be no point bombing a hospital, since even your enemies deserve to have a decent medical care when they need one.  How about babies, toddlers, old people, and anyone who are not involved with military operation?
コラテラル・ダメージ(副次的被害)いう考え方があるねん。戦争が正義にかなってるか、かなってないかは知らん。そやけど、みんなこのコラテラル・ダメージはどんなことがあっても避けなあかん、って言ってるンや。病院を爆撃しても意味ないやろ。敵かって、必要なんやったら治療を受ける権利があるやろ。赤ちゃんやちっちゃい子やお年寄りや、誰でもええけど、軍隊に関係してへん人らはどうや?

 

 

「でも、そんなこと習わなかったよ」
「何でか分かるか?
「時間がないから?
「・・・そうやな。それもそうなんやけど、もうちょっと違う理由もあるねん。どっちの話のほうが受け入れやすい?

初め: ナチスはユダヤ人をたくさん殺した。日本人も東南アジアにおいて非道を行った。

ストーリー1: 連合軍はその悪の帝国と戦い、ユダヤ人を解放し、東南アジアの人々に平和をもたらそうとした。

ストーリー2: 連合軍はドイツと日本の民間人をカーペット爆撃という方法で大量に殺戮し、原子爆弾を落として多くの民間人に戦後何十年にもわたる被害を与えた。

終わり: そして、勝利の栄光をつかんだ。

「ストーリー1のほう」
「うん、そうやねん。どっちも言ってないことがあるけど、まあ、嘘やないやろ。日本やったら、『戦争の悲惨さ』を強調した話になるんやけど。ほんまゆうたら、ストーリー12も歴史で話さなあかんのやけど。なかなかな、そうはいかん。自分が悪いことしたってなかなか言われへんねん」

「勝利の栄光」は「正義」と組み合わせやすい。「敗戦とその後の民主化」は「戦争の被害の悲惨さ」と組み合わせやすい。どちらも自分の過去を「きれい」にする方法だけど。

「そうかあ・・・」
「お前さんが、悪いことした時、すぐに言えへんのと一緒やナあ」
「おかあも笑ってごまかしてたよねえ・・・」
「・・・・・・・。ま、そやから、どんな歴史のバージョンを聞いても、必ずそこには語られてない部分があることを覚えときや。それがすべてやない。必ず、別のバージョンがあるねん」

「洋服に前と後ろがあるのと同じだね」
「まあ、そうやな。下着が見えへんのも似たようなもんや」
「それで、うんこがついてたりするんだよね」
「お前、ちゃんとケツ拭いてるか?

えー、まだご飯の最中なんですけど。

**********************************************

著者: David Chotjewitz, Doris Orgel
タイトル: Daniel Half Human: And The Good Nazi (Mildred L
Batchelder Honor Book (Awards))

息子は読むのを「こわそう」と嫌がっていましたが、読み始めると夢中になっていました。人種、友情、戦争。こういった問題に子供たちが直面せずに生きていける世界になってほしいものです。

 

 

 

 

 

 

 

散歩の会話

夕方、ちょっと浜辺に散歩にでた。こういうとき、海の家に住んでいる喜びをひしひしと感じます。観光客が

「海っていいわね~」

なんていっているのを聞くと、

「なあなあ、わたし、ここに住んでるねん。そこやねん、そこの家に住んでるねん」

っていいたくなります。

うひひ、といわれのない優越感。こういう優越感を持つのっていけないのよ、でも、持っちゃうよねぇ・・・。らりらりら~。

と、思いながら歩いていると、後ろで息子とだんなが会話をしています。

「じゃあ、そのときには皮をむいてから入れるの?
「いや、自然にむけるんだよ」
「何で?

「だから、狭いから」

「じゃあ、すごーく苦労して入れるの?

「いや、ちょうどいいくらいに狭いから」

「ふーん」

ゆ、夕焼けがきれいだなあ。

実は、息子は昨日は友達のおうちにお泊りをしたのですが、そのときに、そこんちの兄ちゃんから情報を仕入れてきた、らしい。が、情報に欠けている点があったらしい。

「じゃあさあ、最後に出るときには気持ちいいの?
「それは、なかなかいいものです」
「宝くじが当たったときみたい?
「いや、ちょっとちがう・・・何というか・・・」

表現に困っているようです。表現の貧困は精神の貧困を招きます。豊かな表現で精神の貧困を歴史にしよう。

そこで、わたしが鶴の一声。

「あのな、おしっこをものすごーい我慢しててな、うっわーもれそうやあぁ、っていうときにな、やっとこさお便所行っておしっこすると、気持ちええやん。あんな感じや」
「あー、そんな感じなんだあ」

なかなか、歴史にはならないようで。

*********************

びびびびびっくり。本日の注目ブログになっているではあーりませんか。

注目ブログだからっていらっしゃった方、すみません。本日はずっこけてます。