せきらら性教育 -10ページ目

ステージママ

息子が、音楽競技会の地区大会を勝ち抜いたので、地方大会に連れて行ってきました。一日、ステージママをしていまして、疲れました。はあ。

お気楽息子も本日は緊張をして、

「うえ~、吐きそう。すっぱいものが食べたい!」

だんなはこれを聞いて、

「吐きそうなときに、すっぱいものを食べたら、余計に気持ちが悪くなるんじゃない?」

わたしは、

「え? 吐き気と、すっぱいもの? お前、妊娠したんとちゃうか?」

・・・・男二人の冷たい視線を浴びました。あ、でも、思いっきり引いてしまった息子は、冷静に舞台へ出て行きました。

結果

12歳以下の個人の部
ピアノ 2位
フルート 1位

12歳以下の団体の部
リコーダー 1位


で、めでたく、フルートとリコーダーで全国大会への切符を手に入れました。

えらい! 褒めてやろう~!

全国大会で、どんなくだらない冗談を言って息子を冷静にするか、考えておこうと思います。

はあ、疲れたので、休みます。おやすみなさい。

本日は休みです

写真は息子が8歳のときに手形を取ってそれをガラスで鋳造したみたものです。このころはまだ手も小さかったなあ・・・。

十分に大人じゃないから

息子はラグビーをしている。それで、チームに入って、あっちこっちで試合をしている。今のところ、彼のチームは

全敗。

記録を更新中。

やせっぽちの息子は、もちろんスクラム軍団ではなく、フライ・ハーフがポジション。え、でも、フライ・ハーフって、走るか、ボールをまわすか決める重要なポジションでしょ? 君にできるのかね。

「ぼくが一番冷静だからね」

はいはい。

それで、タッチ・ラグビーではなくて、ちゃんとしたラグビーなので、もちろんタックルもある。先日の試合では、タッチダウンされそうになったので、必死で走ってタックルをしたらしい。が。

「引きずられて、タッチラインをこえちゃった」

確かに、体が半分どろどろ。

また、別の試合でタックルをした時、

「間違って玉をつかんじゃったんだ。
(By mistake, I grabbed his balls.)」


「えらいこっちゃ。で、どうやった? 
(Oh dear me…Anyway, how was it?) 」


「うーん、あんまりよくなかった。
(Well, I didn’t enjoy it,)


だって、ぼく、
十分に
大人じゃないから。」

(because I am not adult enough yet.)


あの、わたし、タックルはどうだったか聞いたんですけど・・・。

うーん、いい加減に代名詞のITを使ったのが敗因です。やっぱり、なにを指しているのかをはっきりさせて、代名詞は使わねば。




だんなにこの話をしたら、馬鹿ウケ。

「きみねえ、いっつもいい加減にITを使ってるでしょ。まあ、それだけじゃなくて、会話の一般的傾向も敗因の一環だねえ」

ほっといてんか。同じ穴のムジナのくせに。

ラブシーンをみて熱く語る

テレビや映画なんかを見ているときに、ラブシーンが出てきます。一人で見てるときは、

「おお、やっとるなあ、ええなあ、あんなことまでしとるなあ。今度、まねしたろ」(・・・自分の性教育の一環ですわ)

とか、楽しんでますが、息子が隣にすわってたら、どうするか。どうします?

わたしは

「おれおれおれえ~、やっとるでえ~」

と、息子に語りかけます。親子のコミュニケーション。

息子は小さいときは、顔真っ赤にしてはずかしがっとりました。そのあと、おかあが映画館で隣に座ると、はずかしくてたまらんって、隣に座るのを拒否されました(涙)。

が、最近は、

「おかあ、やっとるよ~」

って、息子も答えてくれるようになりました。教育の成果です。

「そやけどな、ちゃんと避妊せなあかんで。おかあはちゃんとしてるからな」
「どんな方法があるの」
「いろいろやな。そのうち、教えたるわ。おとうやないと教えられへんのもあるけど」
「ふーん、避妊してても気持ちいい?」
「大丈夫や。それに、病気がうつるのも困るからな」
「病気?」
「性病ゆうて、セックスでうつる病気があるんや。特に、いろんな人とするような場合は、気をつけナあかんよ」
「どういう風に?」
コンドームというものを使うんや。これは、避妊のためだけやなくて、性病も予防するんやで。そやから、

コンドームを
きちーんと
使うのは
大事なんやで。


相手の子が『いいのよ』ってゆうても、ちゃんと使うんやで。わかったな。そういう責任感があってはじめて、セックスできる人間になるんやで。コンドームみたいもん使えん、ってアホみたいに威張る男がおるけど、そんなもん偉いこともなんともあらへん。無責任のあほじゃ。相手のことを大切に思ってるんやったら、コンドームを使って当たり前じゃ。わかったな」

ぼん、とテーブルを叩いた。

「・・・それは、まだ先の話だから・・・」
「うん、おかあ、ぼくはまだそんなに責任感持てないよ・・・」

男二人は情けなく言ったのでした。



ばかめ・・・・

昨日の記事で、息子のくだらない言い訳について書いていて、思い出したことがある。

もう、5年くらい前かな。息子がまだ小さかったとき。

息子が生後半年目からずっと一緒に保育園、幼稚園、小学校と通った友達の両親が離婚することになった。それで、時々、その子を預かってあげていた。とってもいい子だったし、その子の親もそうたびたびベイビー・シッターを頼めるほど余裕もなかったし。

あるとき、その子がきたとき、袋に入ったキャンディーを持ってきた。息子と食べようとおやつに持ってきたらしい。

持たせておくと、どんどん食べちゃうことがわかっていたので、預かって、台所のたなの上のほう(子供は手が届かないところ)に入れておいた。

「おやつの時間になったらあげるさかい、遊んどいで」
「いま、一個もらっていい?」

まあ、いいかな、と思って、一個ずつあげた。

10分後。
二人で相談をしていたらしい。

「ねえ、キャンディ、もらっていい?」
「あかん。さっきあげたやろ。おやつの時間はまだやし」

10分後。
またしても、相談をしていたらしい。

「ねえ、おやつの時間を早くしていい?」
「あかん。ちゃんと3時半まで、待ちよし」

10分後。
いい考えが浮かんだらしい。

「ねえ、帰るときに忘れると困るから、キャンディーの袋を**ちゃんのリュックサックに入れておいていい?」

「おお、そうやなあ。忘れたら困るもんなあ。今、キャンディーの袋をあげるさかい、リュックに入れときや。いいところに気が付いたなあ。えらいなあ。

















































って、
言うわけないやろ、
ボケぇ!


おかあを侮ったら、あかんよ」

子供って、かわいい。




言葉のアクセント

「おかあ、何で、ニュースを読むアナウンサーはみんなおんなじしゃべり方をするんだ?」

息子は唐突に聞いてきた。

「そら、訛りがきつかったら、ニュースがわからん人も出てくるやろ」
「おかあの言ってることが時々わからないのと一緒だな」

失礼なやっちゃ。

「そやけどな、おかあみたいに違うしゃべり方してる人もようさんいてるやろ」
「うん」
「その人らの立場から見たら、みんな同じにせえって言うのもおかしなもんや」
「おかしい。黒人に向かって『白人になりなさい』っていってるみたい」
「うーん、そのたとえは、ちょっとちゃうなあ。そやけどまあ、そんなもんや。そういうある一個のもんをな『これが一番でっせー』ゆうてな、みんなこれにそろってやーっていうのを『~中心主義』ゆうねんで」
「それ、この前、おかあとおとうが言ってた人種差別みたい」
「人種差別はそのうちの一個や」

息子はしばし、考えた。

「学校で先生が、みんなに勉強しなさいとかお行儀よくしなさいって言うでしょ。あれも、勉強中心主義でお行儀中心主義でよくないよねえ」

あ、こいつ、宿題をせん言い訳考えとんな。

「そやけどな、やっぱり、ニュース読む人はみんなにニュースを分かってもらわなあかんから、みんなが分かるようにしゃべらないかん。お前も、みんなに分かってもらったり、みんなと楽しく付き合えるためには、勉強をちゃんとして、行儀はよくせなあかんの。何でもかんでも『~中心主義』をいいわけにしたらあかん」
「・・・・宿題するね」

しつけは難しいなあ。




追記: 方言の弾圧は世界各地で一時期行われていたようですが、最近は方言の再発見、再確認の作業が進んでいるようです。BBCでは、ニュースのアナウンサーも、「わかる程度の範囲であれば」地方のアクセントで話すことを容認し始めました。

日本ではどうなのでしょうか?


ゲイを理解していないあなたが悪いんですよ

母からメールが来て、「イチゴの旬が終わっちゃったわ」、といわれた。イチゴの旬? 1月2月が? 変じゃない?

それから、ある人からビデオテープが送られてきた。あ、変なテープではなくて、あるTV番組を録画したもの。その番組についてはもう一つのブログで結構まじめな記事を書いた んだけど、ここでは、番組についてではなくて、そこにあったある広告について少しまじめに書こうと思う。

広告は某携帯電話会社の広告。内容はこんな感じ。

エルトン・ジョンがコンサートのためにリハーサルをしていると、二人のスーツを着た男がいきなりステージに上がってくる。そして、新しい携帯電話の機械を見せながら、この宣伝にでてほしいと頼む。そうして、この新しい携帯電話は、これができる、アレができる、と説明し始める。二人はとにかく喋り捲る。

「でも、相手の電話がおんなじことできなかったら困るよね」
「だから、この電話機を買って、うちの会社と契約してくれたら、もう一台ただであげちゃうの!」
「だから、ほら、あなたの奥さんにあげればいいでしょ」

ここまで来て、エルトン・ジョンが怒る。

「But I am a GAY!」(でも、ぼくはゲイだ!)

そうすると、男たちは

「Oh, if you are gay, I am ecstatic!」 (おお、きみが幸福なら、ぼくは恍惚状態だよ!)

エルトン・ジョンの苦虫を噛み潰したような顔が映っておしまい。


この宣伝のジョークの味噌は、GAYという言葉が、以前にも書いたと思うんだけど、「悦ばしい、幸せな」という今ではほとんど忘れ去られているもともとの意味と、同性の人を愛する人たち、という意味の二重性にある。何で、「悦ばしい」という意味を持つ単語が同性を愛する人たちをあらわすようになったのかについては、過去記事をここから 見てください。

スーツ男たちは、いわゆる「男性社会」の代表者で、ゲイのことも女性の権利のことも理解していない。それに、エルトン・ジョンの音楽についてだって無知で、単に有名人だから、宣伝に使おう、という、人を利用することしか考えていない。その上、彼らは、男なら当然奥さんがいるという先入観の固まり。でも、教育だけはあるから、エルトン・ジョンが「ぼくはゲイだ」といったら、その言葉の意味を知ってるよ、という知ったかぶりをしている。しかも、エルトン・ジョンは「a gay」と名詞的用法で使っているわけだから、そこで、彼がどういった意味でGAYという言葉を使っているかに気が付くべきなのに、人の言うことをちゃんと聞いていないから、形容詞的解釈をしている。

要するに、ゲイに対して理解を持たない、男性中心的・自己中心的・自分がえらいと思っているスーツ男に代表されるグループを批判しているわけだ。そして、その人たちの無理解さを揶揄っている。

それが、実に、さりげなく、おしゃれに、おかしく表現されている。

ゲイの存在は、春が来たり、イチゴが熟したり、りんごが実ったりするように、自然で当たり前なことなのに、不自然に「男」を強調するあなたたちにはわからないのね。

笑いものにされちゃうのは、ゲイを理解していないあなたたちが悪いんですよ。

でも、社会には柔軟性がなくて、そういった自然で当たり前のことが認められない。5月から7月にかけてが旬のはずのイチゴを、ビニールハウスで無理やり育てて1月が旬だと言って売ったり、買ったり、する。そういった不自然なほうが、「自然」で「当たり前」になっている。

その状態を、ちょっと怖いな、と思う。




追記: 本日は息子は休みです。

追記2: 

文中、ゲイの存在が自然だ、といっているのには、ちょっとしたわけがあります。

生物学的な性別は遺伝子で決まる、と習います。しかし、最近では、性意識や肉体的特徴はもう少し複雑な過程をへていることがわかってきています。たとえば、胎児がどの程度の女性ホルモンを母親から与えられるか、というのも、肉体的性差を決めるのにかなりの役割を果たしているそうです。

ほとんどの食品がプラスティックで包装されていますが、このプラスティックに含まれている成分が女性ホルモンと非常に似た働きをすることがわかって来ました。この成分が、妊娠中の母親によって吸収され、胎児に他の栄養とともに吸収される。これが、最近の若い男性の精子の数の減少の原因となっているのではないか、といわれています。また、この「擬似女性ホルモン」が多量に摂取された場合には、男性の第一次性徴・第二次性徴ともに十分に行われず、遺伝子的には男性であるにもかかわらず、肉体的には男性としての特徴がほとんどない、というケースも記録されています。

さらに、男性と女性の脳の構造の違いも、わたしたちの性意識に影響を及ぼしているそうです。しかし、この脳の構造の性が、遺伝子的な性と一致していない場合なども報告されています。こうした場合に、その人がどのような性意識を持つのかは個々のケースによるようです。

つまり、ゲイやトランス・セクシュアル、中性、などの性意識(生物学的性と区別するため、これをジェンダーと呼びます)は、社会的影響や家庭的環境ではなく、ましてや個人の責任ではなく、生まれつき持っているもの、先天的、といえるのではないか、ということです。

ですから、ごく一部のキリスト教の過激な原理主義者の間で「ゲイの矯正」をする動きなどあるようですが、もちろん無意味であるわけです。

では、なぜ、生まれてすぐにゲイかヘテロかわからないのか、といわれそうです。これは、人間のジェンダーは第二次性徴を経ることで始めて完成されるからだそうです。つまり、10代後半、または20代前半まで、人間のジェンダーは決まらない、ということらしいです。

最近の研究では、ティーン・エイジのころに、自分はゲイではないか、トランスセクシュアルではないか、と思う子供たちがかなりの数いることがわかってきました。これは、第二次性徴期のホルモンバランスの不安定さによってもたらされるものらしいです。12歳前後に男の子の胸が少し膨らむのと似たような状況といえるのでしょうか。

このあたりのことに関しては、もう少し調べてみたいと思っています。

現行犯逮捕

我が家のしつけの基本は「自白は唯一の証拠ならず」だ。ちょっと、現代刑法の精神を貫いているようで、かっこいい。

だから、怒るときは(叱るときではないあたり、情けないんだけど)、

1. 言い逃れできないような証拠がばっちりあること
2. または、現行犯で逮捕されること


のどちらかの条件を満たしていなければいけないことになっている。

積極的に罪を認め、反省をした場合は「罪を憎んで人を憎まず」大岡越前。信頼関係も失われないので、これが一番いいんですけどね。でも、この場合でも、ことによっては、少し(かなり)怒っちゃったりもします。反省。

それで、前に、complexologistさんが「ビームの入射角と微分方程式」で便所の使い方についていて書いおられました。うちは洋式です。風呂場そのものも洋式です。だから、そこで立ったままでシッコをされて、それが飛び散ると困るのです。

そこで、この家に半年前に引っ越してきたとき、家族会議を開き、風呂・便所掃除担当のわたしが熱弁をふるい、満場一致で「シッコは座ってする」という事に決定しました。これを守らなかったときの罰については

「わたしには考えがあるさかいな」

という事になっています。

が、最近、便器のそこここにシッコの飛沫を見つける。しょっちゅう床の上にも、シッコの飛沫がある。おかしいやないか、客は来てへんで。

容疑者は息子以外にいない。わたしはだんなを知っている。だんなではない。息子に違いない。が、こういった思い込みは捜査に支障をきたす。

聞き込み調査をしてみるが、両容疑者とも容疑を否認。拷問による自白、脅迫による自白、も考えてみたけど、それは、わたしの主義および現代刑法の精神に反するので、まあ、やめておくことにした。

そうなると、シッコの飛沫の科学捜査か、現行犯逮捕のどっちかしかない。科学捜査はわたしの守備範囲ではない(<=かっこいい)ので、現行犯逮捕に全力をそぞぐことにした。

そして、昨日。息子が便所に行った際に、外で待ち構えていて、音を聞いた。間違いなし、立ってしている音である。

「こら! 立ってしてるやろ!」
「おかあ、ごめん!」
「御用じゃ!」

でてきたところを犯人は現行犯で逮捕されました。

刑罰: その場で便所掃除

だんなは、

「現場に踏み込んだの?」

それは、しません。やっぱり、一応、プライバシーの保護も大切でしょ。

18歳になると背が高くなるから

さて、以前にポルノ雑誌について息子と話したことを書いた。このポルノ雑誌は、日本で言うところのキオスクで売っている。角にある小さなお店で、新聞、タバコ、雑貨、ちょっとした土産、お菓子、雑誌各種(ポルノも含む)、など売っている。ここでは、牛乳も売っている。

スーパーマーケットだと、どこかからか仕入れてきた牛乳を売っているわけだが、こういった小さな店は、近くの農家の組合とつながっているので、このあたりで取れた牛乳を売っている。

ゆえに、わたしはこの店から牛乳を買っている。

さて、盲腸炎からほとんど回復したところで、いきなり歯肉炎を起こして、またしても寝込んでしまった。息子は、

「おかあ、大丈夫か。水持ってきてあげようか。卵買ってこようか。牛乳はある?」

と聞いてくる。やっぱり、褒めてあげなければいかん。とは、思うんですけどね。

「おお、牛乳買ってきてくれるか」
「いいよ」
「じゃあ、ついでに、お菓子も買ってきてもええでぇ」
「ええ、ほんとに? うれしいなあ」(うちは普段はお菓子は食べさせないのです)
「うん。ついでに、裸の女の人の乗ってる本もほしいかあ?」
「・・・・いらないよ・・・・」
「何で?」
「だって、手が届かないもん」

息子の話によれば、以前、友達が来たときに、二人でおやつを買に行かせたんだけど、そのとき、友達は店の中で上のほうばっかり向いていた、らしい。

「下のほうにはさ、シンプソンとか、パズルの本とか、庭仕事の本とか新聞とかあるけど、裸の女の人は上にしかいないんだよ。何でかなあ」
「まあ、一応、18歳以下は買ったらあかんことになってるさかいなあ」
「あ、わかった。18歳になるまで手が届かないようにしてあるんだね。うん、僕も18歳になったら背が高くなって、手が届くかな」
「・・・届いたらええなあ・・・」
「そうだよね、おかあはもうずいぶん年だけど、届かないもんね」

人の年や背の高さはほっといて頂戴。失礼なやっちゃ。




追記:
ポルノについてはわたしは別に反対をしていません。そういうものも必要なんじゃないかな、と思っています。でも、現在のポルノ業界を見る限り、女性の体をものとして扱い、彼女たちを利用して多額の利益を上げている搾取の形態があることは否めません。こういった意味において、わたしはポルノの今のあり方はいけないんじゃないかと思っています。

性、というものを考えると、これは、相手を人間として、一人の個人として認めたときにはじめてそこから喜びや愛情が感じられるものであることがわかります。相手をものとして、単に快楽や肉体的喜びを得るための道具としてみている限り、それは性をもてあそんでいるに過ぎず、いろんな人を不幸にすることになるのではないでしょうか。

こういうと、ポルノや売春に反対をしているかのように聞こえますが、そうではありません。性をその職業としてもその人たちの人権が十分に守られるような社会制度があってもいいのではないかと思っています。たとえば、オーストラリアの制度などは、性産業に従事する人たちの権利などを守っていて、参考になります。

そういった意味において、性を語ることは人権について考えることだとわたしは思っています。職業や、その人の性的嗜好に関わらず、個人の権利を認めるためには、性というものについて十分な理解をもつことが大切なのではないでしょうか。

こういった立場から、わたしはアムネスティー・インターナショナルをサポートしています。プロフィール欄にアムネスティーのバナーを貼りました。よろしかったら、一度、アムネスティーのHPを見ていただければ、と思います。


アムネスティーインターナショナルのホームページ(英語)
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アムネスティーインターナショナル日本のホームページ
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褒めること


叱るよりも褒めるほうが大事だという。確かに、西洋人という奴は、国の違いに関係なく、自分の子供を褒める。褒めまくる。

「うちの子は、この前のテストで60点も取ったのよ、えらいわねー(チュっチュっチュ)」

100点満点でしょ! いっつもどんな点とってるんや、お前の子は!

とにかく、子供がいると、客の前でも何でも、褒める褒める褒める。褒められることで自信ができ、そのことに一生懸命取り組むようになる、という。それは、確かにそうだ。

教師をしていたとき、成績表にコメントを書くとき、

「この子は授業中によくしゃべってうるさいので、ほかの子供が迷惑しています」

と書くのではなくて、

「この子はとても積極的に意見を発表してくれます。この積極性はすばらしいです。ほかの子供も意見を発表したいことを理解できれば、もっとすばらしいです」

とかくのだと教えられた。そうすると、確かに、その子は単なるおしゃべりではなく、発言をしようとするし、ほかの子供にも意見を言わせるようになるのだ。そして、教師としてのわたしは、とにかく、子供のいい点を見つけて褒めまくる教師だった。保護者は、

「いや、先生に言われて初めてうちの子を見直しました」

まあ、でも、自分の子供の長所って見つけにくいもんねえ。教師としてできることと、親としてできることは、ちがう。

それでも、とにかく、褒めるよう努力をしてみよう。

さて、息子は3月2日の誕生日の日に、音楽競技会の地区予選に出ていた。結果は、

個人の部: 
ピアノ1位
フルート1位

団体の部: 
リコーダー1位
オーケストラ2位 


というわけで、無事、地方大会に進んだ。

「えらいえらい。よくやったなあ。えらいなあ。まあ、地方予選もがんばりや。全国大会に行けへんかってもかまへんさかい。自分のできることをきちーんとやって、がんばったんやから、偉いなあ。おかあもうれしいなあ」

これは、褒めやすい。

その翌日は、ラグビーの選抜リーグの大会に行った。結果は、

全敗。

見れば、頭の先から足の先まで、泥だらけ。

「いやあ、ようそんだけ、泥まみれになれたなあ。えらいなあ・・・」

褒めるのって、難しい。