ぜんぜん自信なし・・・とほほ | せきらら性教育

ぜんぜん自信なし・・・とほほ

今日は、ちょっと、ぐちぐちとながいかも。しかも、自分を正当化しようとしてるしさ・・・。ほんとは、自分のしたことに自信がないんですね。たぶん、こうすべきだ、と、理論的に考えてみたんだけど。理論と実践はいつでもずれずれだしね。だから、ちょっと自分を正当化したい・・・。それで、もし、ご意見を聞かせていただけると、ほんとにうれしいです。


小さいころのしつけよりも、多様な対応が求められて、独立心を持たせなきゃいけない10代の子供のほうが扱いってずっとずっと難しい・・・。教師として接するのは面白かったけど。やっぱり、人の子だから、突き放して、冷静にみれたからかな。


しかも、ほんとに、放置主義の生みっぱなしで、子供に興味なし、な人だから。


ひとりで育ってくれよな、オイ。・・・なんて思います。




わたしは基本的には親が子供に押し付けることができるのは名前だけで、あとは期待しないことくらいしかできない、と思っていると以前に書いた。やる気がない子供に対して、勉強しろって言っても、あれしろって言っても、無理だろう・・・と思っている。


本人がやる気がないとね。


それで、そのやる気を育てるのは親の責任かもしれないけど。


そうすることで、過干渉になったり、実際にはやる気を育てるんじゃなくて、やらせていることがほとんどになるんじゃないか・・・と思っている。


小さいころは、いいかもしれない。


でも、息子はいま、12歳。


難しいところだ。


何よりも。


やる気を育てる、といいつつ、実は、自分に都合のいい「よい子」になれと言っている場合が多いような気もして。


わたしは、自分の経験から、もし、本気で学ぶ気があるんだったら、英語でも23歳から学んでも遅くないことをしっている。大学に入りなおすことだって可能なことをしっている。


取り返しのつかないこと、というのはないような気がする。もちろん、取り返すために時間がものすごくかかることもあるだろうけど。麻薬中毒とかね。それとか、冤罪の犠牲になるとかね。


だから、息子をほうってあるんだけど。


実は、息子はいま、初めてのどん底を経験している。いままでは、たいていなんでもうまくいってたし、うまくいきそうにないと、周囲(ことに父親)が出てきて、助けてくれていた。宿題ができないときでも、ピアノがうまくできないときでも。


が、そうそう、いつまでも親が責任を取り続けることはできない。


ガールフレンドにはふられる。

ピアノではバッハのプレリュードがまったくできない。

フルートは音楽コンクールの予選で落ちる。


どん底である。


だんなは、かわいそうだから、と言って、一生懸命に慰めたり、ピアノを教えたりしている。それに対して、息子は反発するばかり。それに反するやり方を押し付けてくる父親に反抗することで、自分のやり方に正当性が出てくるといわんばかり。


基本的には、わたしはわたしの息子との付き合い方があるし、だんなにはだんなのやり方があると思う。でも、やっぱり。


このままでは、息子は自分で何をしたいのか分からないままなんじゃないか、と思った。だから、だんなに息子をほうっておくように、と通告した。


「でも、このままだと、ピアノもフルートもできなくなるよ?」

「そんなんかまへんやん。できひんようになったかって。それでもしたいんやったら、自分でなんとかするやろ」

「でも、ちゃんとできないじゃん」

「悪いけど、今かって、ちゃんとできてへんやん?」

「・・・」

「自分で何がしたいのか、どうしたらええのか、きちんと考えさせてあげなあかんと思うよ。うまいこといかへんかったら、かわいそうやけど、しゃあないやん。それで泣いたかって、しょうがないやん」


という会話のあと、息子にだんなが言った。


「おかあが、おとうはもう、君にいろいろ口出しするなって言うから、もう、何も言わないから、自分でしなさい」


・・・あ、きさまー。人のせいにしやがったなー。


と、思ったんだけど、たぶんね、だんなにとっても、この子離れはきついかもしれん。わたしのように、生みっぱなしで、子供に興味なし!な人に比べたら。赤ちゃんのときから、ずっとずっと大事に大事に腕の中に抱えるようにして育ててたんだもんね。


真面目な話、わたしは息子をほとんど抱いたことがない。それくらい、だんなは息子を愛して、息子もだんながだいすき。


まあ、だから、なかなかね、難しいよな。・・・と理解を示し、だんなには文句を言うのをやめておいた。


「あのな、自分で何がしたいのか、わかってへんかったら何にもできひんよ」

「うん・・・」

「そんでな、できひんのは自分のせいやろ。やり方かってわかってるはずや。そやけどそれをしてへんのも自分やん。自信を持つのはええよ。そやけど、練習とか勉強もセントできるって思うのと、きちんと練習やら勉強やらをしたら出来るようになるって思うのでは、違うやろ?」

「・・・」

「おとうが、せい、ゆうたからとか、もう、そういうのなし。自分でわかってるんやったら、自分でし。そんで、できひんのは自分のせいやって、きちんと認め」


・・・と、ここまできて、息子は、


「じゃあ、音楽なんかもうしない!」


と、叫ぶと、だだだだだ・・・と走って、自分の部屋にこもったのでした。そして、聞こえてくる泣き声。大泣きであります。だんなはとめる閑もなく、息子の部屋のまえに行き、扉をたたき、


「ここを開けなさい。大丈夫なの?」


・・・ほうっておけよー。泣かせろよー。自分で考えさせろよー。


「でも、音楽をやめさせるわけにはいかない」


かまへんやん、やめたかって。どっちにしても、一流の音楽家なんかにはなれへんやん。



まあね、だんなにもわかってると思うんですよね。自分でもいってたから。やり方がわかってるのに、それを自分が息子にさせようとするから、反発して、できずにいて。それで、自分ができないからじゃなくて、父親が押し付けてくるのがいけない、ってほかに責任を転嫁するほうがらくだから・・・反発するんだよねって。


わかっているなら、話は早い。


息子は自分で部屋から出てくるまで放っておこうと思う。


せいぜい、とってもいいにおいがする料理をたくさんして、腹をすかせて、おめおめと部屋から出てくるのを待とうと思う。