とりあえず一安心 | せきらら性教育

とりあえず一安心

えー、結果の報告が遅れまして申し訳ありません。


ここまでの経過、


1. 事件です!

2. 緊急安全保障理事会召集される

3.結果はまだ分かりませんが・・・



金曜日、オーケストラの練習を終えてくたくたになって息子は帰ってきまして、


「どうやった?」

「どうだった?」


という、おとうとおかあのユニゾンの問いかけに、


「大丈夫やった・・・」


と答えたきり、風呂で寝込んでしまったり・・・。オーケストラのコンサートが近いので、しごかれまくっているらしい・・・。息子は第一フルートです。


翌朝、話を聞きますと、彼女はとっても喜んだそうです。それで、周りの友達からの、


「でも、誕生日プレゼントだったらHappy Birthdayじゃないの? やっぱりサー」


などというくだらないつっこみにも、


「この曲が大好きなの。ありがとう」(ニコ)


と答えたとか。


・・・いい子じゃないか・・・じーん・・・。




しかし、息子は好きな子ができて、初めて親からcomfirmされる以外の自己に対するイメージを獲得したように思います。


Confirmは、なんていうのかな。確認される、というのが訳語になるんだと思うけど。自分の顔は自分の目で見ることができないから、鏡に映しますよね。それと同じように、自分がどんな個人であるかを確認するために、他者の視点が必要なんじゃないか、と思うんです。


子供のうちは、その自分という存在を映し出す最大の鏡は親だと思います。親から自分がどう見られているのか、それが子供にとっては大事なことなんじゃないか、と。


だから、褒めてやるといいのかもしれません。親の視点から確認される自分は自信を持っていい個人である、と教えてやる行為が褒めるということなのかも。そうすると、自分に自信を持っていけるのかも。


まあ、褒めすぎると親という鏡に映し出される自己がゆがむので、ゆがんだ自意識過剰とか自信過剰になるような気がするけど。


それで、もちろん自己を映してくれる鏡には友達もいるわけです。でも、やっぱり、恋をすると、ね・・・。


その人に自分がどう見えているか、気になる。


そこで、自分を偽ったり、ええかっこしたり、ぶったりすることもある。鏡の前でポーズしか取らなくなる自分ができることがある。


相手が「わたしが望むあなた」しか映し出さないわがままな鏡になってしまっていることもある。(これは親の場合にもいえると思っています。反省したいです。)


でも、そうじゃなくて、「わたしが見ているあなた」を素直に映す鏡になれる場合もあるんじゃないかな。そういう鏡の前では、自分の長所も短所も素直に見ることができるような気がします。いや、自分が嫌いでどうしようもなかった部分を慈しんで映してくれる鏡を得ることで、別の自分を発見することも可能だと思います。


息子の場合、どうもこの素直な鏡になってくれる女の子を見つけたらしい・・・。若いのに・・・。


自分が音楽をしていること、ラグビーをしていること、勉強をまじめにしていること、そして人種的なこと。


そういうことが、今まで自分にとってなんなのか分からなかったようだけど(親に押し付けられているっぽいので・・・反省・・・)、彼女に出会うことで、自分の一部、誇りとできる部分として、これらのことを認められたようなんです。


・・・というわけで、あれせえ、これせえ、と言わなくても、自分でいろいろするようになってきたんとちゃうかな、と、思ってもええんとちゃうかな・・・そうやったらええんやけどな・・・そうかな・・・うーん・・・。


(まあ、わたしたちがうるさく言わんようにしようって決めたあたりと、彼女と付き合い出したあたりの時期が重なってる・・・と、ちょっとだけ自分たちの手柄もあるんちゃうかな・・・って主張してもいいかな?笑)。


という訳で、まあ、いい恋をしているようです。一応、その子のことは知ってるので、安心だし。


しかし、気に食わない点がひとつある。


































































なんで、

いきなり

両想い

なんや???


普通さ、初恋って、片想いで、えらい切ない想いをして、校庭の端に佇んだりせえへん???? 空を見上げて、センチメンタルに溜息なんかついちゃったりするもんなんとちゃうの? 秋の風が冷たいわ・・・涙ポローン・・・みたいな。


わたしはそうだったぞ。


そこんとこが、いまいち、納得がいかん・・・。