母の日 | せきらら性教育

母の日

日本の母の日はアメリカの母の日です。五月の第二日曜日。


でも、実は世界中で同じではありません。


ちなみに、イングランドでは三月の日曜日です。どの日曜日か決まっていません。なぜかというと、この母の日は、イースターとその周辺のお祝いに関係しているかららしいです。


イースターの直前の40日間をレントといいます。このレントに入ってからの4番目の日曜日がイングランドの母の日です。


一年に一度、自分が属している教会のMother Church(その地域で一番大きな教会)に行くことが大事だとされていたそうです。レントに入ってからの4番目の日曜日にそうしていたのだそうです。ですから、領主や貴族の館などに奉公に出ている子供たちも自分たちのMother Churchを訪ねることを許される日なんだそうです。


江戸時代の薮入りみたいなものですね。


そうすると、その結果として、自分の家族に会うことができます。子供たちは、教会へ行く道すがら、久しぶりに会える母親へのプレゼントとして、道端の花を摘んで小さな花束を作って行ったそうです。


わたしは、この話を聞いたときに、母親に久しぶりに会える喜びを託した小さな花束を作れる子供たちをとてもうらやましく思いました。そんな風に、暖かく自分の母親を愛せることはなんと幸せなんだろうと思いました。


わたしは、母がなぜそうであったかを今は理解しています。だから、怒りもないし、憎しみもない。そこにあるのは、冷静な理解だけです。でも、少しは期待していました。わたしが変わったように、母も変わったかもしれない。わたしがなぜそうであったかを理解してくれたかもしれない。お互いの理解が元となって、何か新しいものが生まれるかもしれない。


久しぶりに今回の一時帰国で母に会ったとき、母は何も変わっていませんでした。わたしの理解を愛情だと誤解し、昔と同じように自分の望む「娘像」をわたしに押し付けようとしました。


道端でつんだ野の花は、やはり、野においておくべきものでした。あっという間に枯れてしまいます。一年に一度だけ、そうしなければいけないのだから、高い花を無理して買って贈ったほうがいいようです。大きな花束だと、わたしの顔も隠れますから。